ぼくは音楽家で、パーカッショニストでした。
演奏活動も軌道に乗ってきたころ、同時に友人と音楽のプロダクションを立ち上げ、
コンサートのプロデュースやアーティストの個展などを手がけ波に乗っていました。
順調にやっていたそんな折、
夜中の西麻布の交差点で、後ろから追突されむち打ち症に。。。
治療院に行ったとき院長に「具合の悪い老人が入ってきたかと思いましたよ」
と言われるほどヨレヨレになっていたんです。
交通事故の後遺症で首から背中がこわばって集中して考えることができなくなり
プロデュースの一線から退かざるを得なくなってしまいました。
そんな中でも演奏していると背中の痛みも和らぐので、パーカッションの演奏に専念することにした。
その後、いい活動の場に恵まれるようになり、
ネルソン・マンデラ来日コンサートへの出演など、日本中をツアーするようになりました。
リハビリのために日本の武術も始めたが、これが面白くて夢中になりました。
音楽とからだと心に深い結びつきがあることに気づいて、ボディーワーク、
認知行動療法などのさまざまな心理療法、NLP、ヒプノセラピーなどを学び初めました。
やがてこれらの学びには通低するものがあることが見えてきて、
それを探求し、まとめることが生涯の仕事だと思うようになりました。
このころに考えたコンセプトがその後生まれる「覚技」の母体にったんです。
でも、人に伝え始めるのに、それから10年もかかってしまいました。
カリスマ的存在として知られるセラピストのワークを受けたからです。
その人は吉福伸逸さん。
かれは元ジャズミュージシャンでアメリカで活躍し、
その後アメリカの新しい思想や心理学を日本に定着させた大御所。
かれの存在感とやっていることは本格的で、
それと比べたら自分がやっていることなんてぜんぜん本物じゃない。
足元にも及ばない。。。
自分では充分やってきたのでそろそろ立ち上げるか、
なんて考えていたぼくは、鼻っ柱を完全にポキッと折られてしまいました。
かれは本物だったんです。
それならば、彼から学ぶのが一番だと強く思い、
かれのトレーニングを受け始めました。
だめな自分に直面しなければならないことが何度も何度もあり、
途中きつくてやめたいと思うこともありましたが、なんとか乗り越えていきました。
とくに統合失調症といわれる人の対応のトレーニングは大変でしたが、
ぼく自身を成長させてくれる大きなきっかけとなりました。
そして10年経ち、意を決して吉福さんに、
「ぼくは覚技というの考えていて、それをやっていきたい」と伝えたら
「覚技?新海さんらしいね、どんどんやりなさいよ」と励ましてくれました。
ほっとしました。実は、ぼくにとってはこれはとても勇気のいることだったんです。
こうして、セラピーでもない、エンターテイメントでもない、
「覚技」が誕生しました。
気づきとアウェアネスの技術~覚技ワークス主宰★新海正彦