たのしい修行って?その参



スナフキン140602_03

これまでとはちがう視点、ちがう方法で自分とふれあい、
「あれ、自分ってこうだったんだ!」という
目が覚めるような体験をみなさんにしてほしい。
そのための技をお伝えするのがたのしい修行です。


たのしいけれど修行になってる!

覚技はたのしい修行といっていますが
実は「修行」というイメージとはちょっと違っていて
どちらかというと「練習法」という響きのほうが合っています。

実際、子どもの遊びみたいなワークがたくさんあります。
しかもヨガやストレッチや瞑想などのように
とくべつな時間をつくってやるものではなく、
歩く、話す、家事をする、仕事をする、
テレビを見る、運動するといった
ふだんの生活の中でできる練習法です。

 

やることはいたってシンプルで
いつもの自分の「視点」や「モード」をちょっとかえてみる。
ただそれだけです。
なのにそれがとても奥深い。

いつもの生活の中でその練習法を続けていきさえすれば
いつの間にか自分の世界がかわっていくのです。

自分で努力してかえようとしているわけではない。
むしろかえなくていいというスタンスでいる。

なのにいつの間にか
自分の中と外の世界がかわっていくのです。
だから楽しいけれど修行となづけているのです。
こうしたたのしい修行をとおして
これまでとはちがう方法で自分とふれあい、
「あれ、自分ってこうだったんだ」
という目が覚めるような体験をみなさんにしてほしい。
覚技のたのしい修行はそう願って生まれました。


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