これまでとはちがう視点、ちがう方法で自分とふれあい、
「あれ、自分ってこうだったんだ!」という
目が覚めるような体験をみなさんにしてほしい。
そのための技をお伝えするのがたのしい修行です。
たのしいけれど修行になってる!
覚技はたのしい修行といっていますが
実は「修行」というイメージとはちょっと違っていて
どちらかというと「練習法」という響きのほうが合っています。
実際、子どもの遊びみたいなワークがたくさんあります。
しかもヨガやストレッチや瞑想などのように
とくべつな時間をつくってやるものではなく、
歩く、話す、家事をする、仕事をする、
テレビを見る、運動するといった
ふだんの生活の中でできる練習法です。
やることはいたってシンプルで
いつもの自分の「視点」や「モード」をちょっとかえてみる。
ただそれだけです。
なのにそれがとても奥深い。
いつもの生活の中でその練習法を続けていきさえすれば
いつの間にか自分の世界がかわっていくのです。
自分で努力してかえようとしているわけではない。
むしろかえなくていいというスタンスでいる。
なのにいつの間にか
自分の中と外の世界がかわっていくのです。
だから楽しいけれど修行となづけているのです。
こうしたたのしい修行をとおして
これまでとはちがう方法で自分とふれあい、
「あれ、自分ってこうだったんだ」
という目が覚めるような体験をみなさんにしてほしい。
覚技のたのしい修行はそう願って生まれました。