吉福伸逸~著作・翻訳活動篇でご紹介したように、
吉福さんは数多くの本を翻訳・監修していますが、
アカデミズムを避けていたような人でした。
じっさい学者ではありませんし、
雰囲気からして学者タイプではありません。
会ったことのない人は、
かれの業績から超然とした僧侶とか、
聖人のような佇まいの人を想像するかもしれませんね。
でも見た目は、一見すると日焼けした、
元気そうなふつうのオッサン風です(笑)
不思議に思うかもしれませんが
理論書などを翻訳してきたのにもかかわらず
理屈っぽい話は好きではありませんでした。
もうちょっと正確にいえば、身体性をともなわない、
あたまだけで考えている話は好みませんでした。
質問をすると、質問の内容によっては
かれのもつ膨大な知識と体験をもとに、
いくらでも話してくれます。
でもそれも聞いていて理屈っぽく感じないのです。
セラピーの現場では、
そこで行うワークについての原理を話すことがあります。
そういうときでも、
参加者が何かしら自分に気づきやすいように
物語や体験談を交えて話すことが多かったと思います。
吉福さんはワークショップのことをセッションと呼んでいました。
元々ジャズ・ベーシストだったので、人と共同作業することを
ジャズ・セッションのように感じていたのでしょう。
彼はワークのことをセッションといっていましたが、
ぼくたちや参加者はそれを、親愛を込めて、
【吉福ワーク】と呼んでいました。
吉福ワークはジャズ・セッションのように
即興=インプロビゼーション的に進んでいきます。
そのときどきに起こることを
徹底的に大切にして、変化をつかみ変化に対応する。
対応の仕方にも細心の注意を払います。
つまり、そのときの参加者が醸し出している雰囲気や
気配のようなものを驚くほど敏感に感じとって、
ワークを進めていくんです。
すると参加者それぞれのなかにおのずと変化が始まり、
なにかしらの方向性が現れてくる。
それを邪魔せず、促していきます。
この、それぞれの人のなかでおのずと起こってくる
変化や推移を「プロセス」といいます。
吉福さんは
「その人のなかで起こっているプロセスを徹底的に信頼している」のです。
すると当然さまざまなことが起こりはじめます、
かれはそれをどっしりと受け止める。
吉福ワークのセッション中は、
安心して自分と向き合うことができる雰囲気があり
参加者はいつもより深く自分を掘り下げることができるのです。
使っている手法としては、
ゲシュタルト療法、認知行動療法的アプローチ、ボディワーク、
イメージ療法、サイコドラマ、ニューシャーマニズム的手法、
そしてそれらを基にしたオリジナルのワークがあります。
ほんとうにさまざまで、それらを場に応じて臨機応変に使っています。
でも使っている手法はさほど重要ではありません。
「その人のプロセスを徹底的に信頼している」
という態度そのものが、人に大きな変容を促してくれる、
手法よりも大切なものだといえるでしょう。
セッションを受けている人は、ある意味、
「生き方を学んでいる」ように感じていたのではないでしょうか。
少なくとも僕はそう感じていました。
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