ぼくは24才から25才のときシルクロードを旅行していました。
最低限の荷物で現地に溶け込みながら一人で長旅をするという、いわゆる貧乏旅行です(笑)
その途上のイランとアフガニスタンで、国情が激変するという大きな出来事が相次いで起こりました。
今回はその体験談を書こうと思います。
ぼくがイランの首都テヘランにいたとき、イスラーム革命が勃発しました。1979年のことです。
当時イランはパーレビ朝が支配していたのですが、それが国民の勢力によって倒されたのです。
それはイランにとって、とんでもない出来事だったのです。というのもこの国の王朝制度は、紀元前6世紀から2600年間も続いてきていて、それがまさに終焉するという歴史上の大転換点だったのですから。
街ではアメリカ資本の銀行が爆破され、中東地域に唯一あったテヘランのBank of Tokyoも砲撃を受けてました。そのせいでぼくは送金しておいたお金を引き出せず大変な思いをしました(苦笑)。
戦車がおどろくほど早いスピードで走ることを知ったのもテヘランでした。戦車が正面から来たので走って逃げたのですが、そのときそれまで書き溜めていた旅行日誌を失くしてしまい、これにはけっこう落ち込みました。
東京の銀座通りのように華やかだったメインストリートは、半年後に再び訪れたときにはどこもかしこも砲火ですすけてしまい、灰色の街に変わっていたこともおどろきでした。
もう一つの国情の急変があったのはアフガニスタンです。
時間は遡りますが前年の1978年、ソ連によるアフガン侵攻が始まりました。そのときぼくはソ連国境近くのバルクというの小さな街にいました。街のそこここにはソ連兵士が立ち、旅行者が泊れる宿は次々閉鎖されていきました。外国人を国外への締め出す作戦指令があったようです。
じつはここバルフはとても古い歴史のある街なのです。13世紀にモンゴル軍に壊滅されてしまうまでは、この一帯はイラクのバグダードとともに高度なイスラーム文化が繁栄した地域でした。
どう繁栄していたかというと、バルフは後に巨大な勢力となるゾロアスター教の発祥の地でした。それは紀元前10世紀より以前ともいわれています。また1世紀から10世紀まではこの地で仏教が広く栄えていました。
そして10世紀から13世紀まではこの一帯はスーフィーの一大拠点にもなっていました。旋回舞踏で知られるトルコのメヴレヴィ教団の創始者、ルーミーの生家もここにあります。このように、周りは山と砂漠ばかりの街なのですが、ここにはまざまな宗教の栄衰があったのです。
話しを戻して1978年、北から侵攻したソ連軍は、あっという間に首都カブールを鎮圧してしまいました。ぼくがアフガニスタンにいた2ヶ月の間で、この国の様子は大きく変わってしまいました。
このような体験があって、ぼくはその後、国や文化、宗教ってなんだろうと関心を持ち続けることになりました。今でも、ISISの問題などについてイラームの歴史の観点から見ているとさまざまな思いがあります。
ぼくはけっして戦火を求めて戦地へ赴いたわけではありません。たまたまこうした出来事に出くわしただけです。ただ、歴史が動いている生々しい現場が近くにあるのならば、それを実際に見てみたいという思いはありました。いまから考えると無茶しすぎだった気もします。生きて帰れてよかった~(笑)
アウェアネスアート研究所 主宰 新海正彦