日本トランスパーソナル学会の会誌のニュースレター(Vol.20)に記事を書きました。
学会が主宰した「プラユキ・ナラテホー師来日講演」に参加した印象についてです。
プラユキ・ナラテホーさんはタイに住む日本人の僧侶です。
彼には豊富なバックボーンがあって、ブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチのお話しはとても興味深いものでした。
タイの上座部仏教の教えはやはり「タイスタイル」。それを体現しているプラユキさんはとてもオープンで明るい方でした。
許可をいただいたので全文を掲載いたします。
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プラユキさんのセミナーにはいくつもの意外性がありました。
まず僕はてっきり「お坊さんの話だからきっと講話か説法のようなスタイルだろう」とふんでいたら、なんとプリントを見ながらの講義形式。しかもそのプリントは妙にかわいいイラスト入りです。
「自我からの開放」の説明部分などにはお茶目な字で、「私ってこういうひとだしィ~」⇒「パッ!あ、自我ってこうなんだ!」⇒「Freedom!」なんて書いてあります。なんともおもしろそうです!そして講義が始まると「なるほど~」という説明のオンパレードでした。
たとえば、ブッダの説いた教えには叡智と慈悲の2方向があるという話では、プラユキさんはその違いを「理工学部」にたとえ、「叡智の探求」が理を求める理学部だとすると、「慈悲の実践」は理を応用して効果を求める工学部のようなものだと説明。すごくわかりやすいたとえでした。
「仏教は自我をどう考えているか」については、ユングのシャドウの話を交えながら説明。
さらにその自我の話を基に「十二因縁」の「苦」のループの解説があり、気づきがあればどの段階からでも「苦」の連鎖から抜け出せるという話もあって、これはまさに出色でした。
それと「観音菩薩は人に合わせた姿で百変化して現れる。精神世界のコスプレの女王です」というたとえもあり、これには思わず吹き出してしまいましたが、プラユキさんは「その姿が理想なんです」と語っていました。
ヴィパッサナー瞑想の捉え方についても他のヴィパッサナーとは趣が違うと僕は感じたので、セミナー終了後にタイのテーラワーダ仏教について尋ねてみたら、「タイのはグーではなくて、パーッ!だからでしょうね」と手をパッと開いて説明。これにもつい笑ってしまいました。
仏教というとどこかまじめすぎて堅苦しいイメージを持っているのですが、プラユキさんはとにかくおおらかで明るい。そしてオープンで自由な雰囲気があります。
「タイという国はいい意味での”いい加減さ”がある。深刻にならずに明るい。それがいいところ」と話されていましたが、プラユキさんの仏教世界はまさにそんなタイスタイルです。
プラユキさんはタイスタイルの仏教を修行しながらユング心理学やトランスパーソナル学も深く学んで探求されてきています。なぜか?
プラユキさんのもとへ相談にきた人には具体的な問題解決が必要です。
相談者に「一切が空」といった話をしても結果は出ない。
相談者が笑顔で帰っていくには、修行で得た智慧を現実的に用い、慈悲の実践として相談者の世界を受容し共感していくことが大事。
そこで使えるものはなんでも使うというフリースタイルのプラユキさんらしく、そうするためにもいろいろな勉強をされてきたようです。
こんなてらいのないプラユキさんワールドにもっと触れたい方は、著書『「気づきの瞑想」を生きる』を読まれては。
僕もセミナー後に読んだのですが、タイのヴィパッサナー瞑想のやり方。滅苦のために瞑想しているのに関わらず苦しくなってしまうメカニズム。みずからの体験を通してシャドウを受容する作業をしてきたプラユキさんのお話。そして南国の瑞々しい田舎の風景の中で修行している僧や開発僧と呼ばれる僧たちのおおらかさなどの話が満載でした。
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ぼく、ご縁があってタイには40回ほど行ったことがあります。
なので自分にはタイのヴィパッサナーは妙に体になじむ気がしました。
タイスタイルで、さまざまな出来事を乗り越えてこられたプラユキさんのお話は、ほんとうに魅力的でした。
アウェアネスアート研究所 主宰 新海正彦