「肝臓がんになった原因は全部わかってるの」
これはこころに残った、吉福さんのことばです。
※これは2013年5月5日のブログ記事の転載です
発覚したのは今年4月のはじめ。
病院にはかからない人なのですが、具合がかなり悪くなって家族の勧めもあり、検査をしたら、、、末期の肝臓がん。しかも余命はわずかとのこと。
ふつうは即、入院の状態です。
でも吉福さんは、かなりの痛みがあるけれど、自然なかたちで死を迎えたいと延命措置は選択しないで、自宅で家族とともに余命をすごすことにしたといいます。
ぼくはそんな吉福さんのお宅で、亡くなる3日前までの5日間をすごしたのですが、そのときに話してくれた話がこれでした。
ベッドの上で、「肝臓がんになった原因は全部わかってるの。僕は今まで一つ一つ、すべて納得してやってきたからね。すべて自分がやってきたことの結果だって受け止めているんだよ」とカラッとした表情でいったんです。
ああすればよかった、こうすればよかったという後悔もしていなければこころ残りもないと。
ぼくなんかからすると、ほんとかなあという思いはあります。でもたしかに、彼と近くで接しているとどんなときでもぶれずに自分自身でいるのが伝わってきます。一つ一つの出来事にたいして、自分自身をぶらすことなく、丁寧に対処してきたのだと思います。
吉福さんがやってきたことは膨大な範囲に及んでいます。
なのできっと、必要を感じたことは、無理をしてでも引き受けてきたのではないか。たとえそれが自分の寿命を縮めることになっても。
原因はすべて自分にあるという考え方がありますよね。そうなったのはすべて自分の責任。
人間関係のストレスや生活習慣、環境など、自分以外に原因があるように見えたとしても、それを選んだのは自分自身。極端な話、事故のように自分の関係なさそうな出来事も自分のせい。
それはそうかもしれない、と思います。
でもたとえそれがわかっていたとしても、とつぜん余命わずかと宣告されれば、動揺するのが当たり前だと思います。
吉福さんそれを、「あっそう」と受け止めた。
やっぱり普通じゃない。
もしぼくが同じようなシチュエーションだったら、とても「あっそう!」なんて思えないだろうなあ。少なくとも納得するまでじたばたしそうです。あらためて、吉福さんてすごい人だなあって思う。
「大死一番」という仏教用語があります。(タイシイチバンと読みます)
これは吉福さんが以前によく口にしていたことばで、「死ぬ覚悟で何かをしてみる」という意味だといいます。
吉福さんの死へのプロセスを見ていると、彼はほんとうにその言葉通りを生きた人だったなあと感じました。
大死一番の生き方。
ぼくは笑止千万の生き方にならないよう、ぼくなりにしっかり生きねば!
アウェアネスアート研究所 主宰 新海正彦