ぼくとトルコを結びつけたのはダライラマでした

トルコ本キャプチャ
ぼくとトルコを結びつけたのはダライラマでした。
ちょっと長くなりますが、事の顛末を書くとこうです・・・。

1978年、ぼくは北西インドにある、
チベット人が多く住むダラムサラという町にいました。
ここは当時、ダライラマと高僧たちが亡命して住んでいた場所で、
チベット亡命政府となっていたところです。

ダラムサラにぼくが着いたとき、
ちょうど3週間後にダライラマの誕生祝祭日があると知って
それまでここにいることにしました。

ダラムサラは山間部にある、
短いメインストリートが2本通っているだけの小さい町なのですが、
そこにはチベット文化が純粋な形で色濃く残っています。

滞在中は、短い間ながらも知り合いができ、
あちこちお呼ばれされたりして楽しんでいました。

そんな招待を受けた中でとても印象的だったのが、
町から離れたところに住んでいたタンカ(曼荼羅の掛け軸)を描く絵師のお家。
そこでは緻密な作業を生で見せてもらうことができました。

彼の話によると、曼荼羅をちゃんと描くことができるようになるまで、
なんと30年もの修行が必要なんだそうです。
「石の上にも3年」といいますがその10倍ですね。
あれだけ緻密な絵を描くにはそれだけの技術や集中力が必要でしょう。
でもそれ以上に、依頼してきたチベット僧が生涯をかけた厳しい修行に
携えるタンカです。描く内容についても熟知していなければならないんですね。

さて、そんな感じで過ごしていたある日、
許可をもらって高僧の一人を訪ねる貴重な機会を得ました。

訪ねたお寺はチベット本国のようにはいかず、
コンクリート作りの簡素な建物でした。

高僧は高齢のはずなのですが、
よく声の響く闊達な方で年齢がわかりません。
冗談も得意です(笑)

高僧からはヒマラヤを越えてきたときの様子など、
おどろくような話をいろいろ聴いたのですが、
別れ際、彼からこんな話がでてきました。

なんでも前月に日本から中根千絵さんという社会学者の方が訪ねてきて、
自分の書籍と数冊の本を残していったというのです。

「でも自分は日本語は読めないからもったいない」
ということで、中の一冊をぼくに譲ってくれました。

その一冊が 「遠くて近い国トルコ」という本でした。
(やっとトルコが出てきましたね~ 笑)

早速、宿に戻って読んでみたら、
知らなかったトルコの歴史や魅力、
そして日本との深い関係などが書かれていて、
これがすごく面白い!

夢中になって一気に読み終えたら、
「そうだ トルコ、行こう!」(はい、これはJR東海のパクリです)
となっていたのでした。

それまでは「今回の旅は西はアフガニスタンまで」
と考えていたのですが、トルコはさらにその西方。
旅の計画はここで西へと延長されることになったのでした。

ちなみにアフガニスタンから西へ延長されたその道は
いろいろなめぐり合わせの重なりによって
最終的に不思議なルートをたどることとなりました。

一言でいえばそれは「グルジェフに続く旅」となったのですが、
この続きはまた明日!

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気づきとアウェアネスの技術~覚技ワークス主宰★新海正彦


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コメント

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