前編は、
自分の中で、ぼくが目指していたのは「注意の行き届いた自然体」であり、
大切にしてきたのは「ダブルアテンション」だったということがわかった。
この二つの言葉が、覚技のキーワードになった、というところまでです。
覚技とは?【前編】はコチラ⇒
それぞれの言葉の意味はこうです。
◆まずは一つ目のキーワード「注意の行き届いた自然体」からお話しましょう。
といってもわかりにくいので、身近な例を挙げて説明してみますね。
例えば、かっとなって怒りやすい。それを変えたいという場合。
覚技では、逆説的ですが、問題をなくそうとはしないんです。
かっとしてもまったくかまわないという視点にまず立つ。
そのままでいいということです。ただし、かっとしてかまわないけど、
自分がどういう状態になっているかには気づいているようにする。
◆かっと怒っているけれど、呼吸やからだの状態、
たとえば足の裏をぐっと縮めていないかなどに目を向けます。
また、相手とはどういうタイミングでかっとなっているのか、などにも注意を向ける。
そのように自分や周囲に注意をいきわたらせる。
これを継続的にやっていると、結果としてかっとすることがだんだん減ってくるんですね。
ちなみにこれは「落ち着こう、深呼吸をしよう!」と自分に言い聞かせるのとは違います。
こちらは、かっとなった気持ちを落ち着かせようという目的のために深呼吸をする。
問題をなくそう、なくそうとしています。
そうではなくて、今の呼吸がどうなっているか注意深く見るだけでいいんです。
そうすると自然と変化が起こり始める。
問題を消そうとしなくても、問題が問題ではなくっていくのです。
とにかく、常に体や感情などの自分の内側と
自分の外側双方向に注意を向け続けている。そうしていることが大事なんです。
◆これを別の例で言うと、
「姿勢を正す」ということがよく言われます。
一般に、胸を張ったり、背筋を伸ばしたりして、正しい姿勢にしようとしますが、
覚技ではこれも正そうとはせず、ただからだに繊細に注意をいきわたらせて
いくだけという方法をとります。
それを続けていくと、自由で動きやすい姿勢に自然と変わっていくからです。
結果として正しい姿勢といわれるものに近いものになっていきます。
形を整えようとするのではなく、自分のからだや呼吸に繊細に注意を向けていく。
このように自分自身の内側にも周囲にも目を向けていることを、
ぼくは「注意の行き届いた自然体」と表現しています。
「注意の行き届いた自然体」については
以上2つの例でなんとなくわかっていただけたでしょうか?
◆では、もうひとつのキーワード「ダブルアテンション」の説明に移りましょう。
ダブルアテンションは双方向へ注意を向けることです。
今やっていることをもう一つの目で見る。
感情が湧き上がったときにからだにも注意を向ける。
相手に目を向けると同時に自分自身にも目を向ける。
相手と深くコミットしながら、同時にそれを鳥瞰的にみている。
部分をしっかり感じていながら、同時に全体を感じている。
そんなふうに同時に2つの注意点を持つということなのですが、
ダブルアテンションは実はさらに奥が深いものなのです。
たとえば「胡蝶の夢」という逸話があります。
「自分が蝶の夢をみているのだろうか、蝶が自分の夢を見ていのだろうか」というお話です。
これもぼくはダブルアテンションと考えています。
つまり、自分が「これはまぎれもなくリアルだ」と信じ切っている世界も、
もしかしたら、実は夢のようなものかもしれない。
そんな、今生きている現実がべつのストーリーとして見えてくる。
その意味で「胡蝶の夢」のお話もダブルアテンションだと考えるわけです。
ちょっと荒唐無稽のように思われるかもしれませんが、
心理学者スタニスラフ・グロフは、これを目の前の現実を見ている
いつもの日常的意識に対して「高次の正気」と言っています。
統合失調症の方と接していると、どちらがまともかわからないことがある。
社会のなかで汲々として生きている自分の方がおかしいのではないか。
もしかしたら彼らは言動はおいておいたとして、
意識の状態は「高次の正気」なのではないかと。
ちょっと話が難しくなってしまいましたが、
とにかく覚技ではこうして一方向からだけではなく、
二方向へ注意を向けて自分や世界をとらえることを
とても大切なことと考え、それをダブルアテンションと呼んでいます。
◆最後に、「覚」の持つ意味の素晴らしさ。
「注意の行き届いた自然体」「ダブルアテンション」を大切にする場合、
何よりまず自分自身を自覚することが第一歩となります。
自分を意識的にとらえる。自分の身体や内面の状態を自覚する。
ということで、「自覚」の意味についてふと調べてみたら、
自覚の「覚」という漢字がすばらしい意味を持っていることを知りました。
覚という漢字は「眠り、迷いなどが消え去って本来の判断ができる」
「さまざまなものが一点に交差してまとまる、腑に落ちる」という意味。
そこでぼくはその覚の状態を探求する技芸を覚技とし、
自分がやるワークを覚技ワークと呼ぶことにしました。
覚技ワークでは、ダブルアテンションのための
さまざまなエクササイズやゲームを行っています。
楽しいエクササイズやゲームを夢中になって行うことで
潜在的に持っている能力や表現力を解放してくことができるようにするのです。
心がオープンな状態で 遊び心とチャレンジ精神にあふれたワークを行っていくと
思わぬ自分を発見するチャンスが生まれます。楽しい場では心が開きやすいからです。
なので覚技では楽しく遊ぶことを非常に重要視しています。
そんななかで「注意の行き届いた自然体」と「ダブルアテンション」を探求する。
それによってパフォーマンスを高めたり、毎日を充実して過ごすことができるようにする。
これを目指しているのが覚技ワークなのです。
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